㍿こんにちあーりん🌷

妄想創作を業務とする会社です。前四半期も利益は全くありませんでした。

卒業

  卒業式を明日に控え、3月の朝の風はまだ少し冷たく、しかし、少しだけ優しく頬を撫でて行った。秋の県大会で私たちは最優秀校に選ばれ、静岡県代表としてブロック大会に勝ち進み、気がつけば全国大会に出場が決まっていた。

 ところが高校演劇とは不思議なもので、私たちを引っ張ってくれた先輩たちが卒業した次の夏にやっと全国大会を迎える。つまり、さおさんのいない劇部として全国大会に行くことになる。予選を勝ち抜いた先輩たちが全国大会の舞台には立たないなんておかしな話だけれど、そんなことも言っていられない。私たちで舞台をまた作り上げなくてはいけない。

 ブロック大会が終わった次の日、先輩たちは私を次期部長に指名した。その場にいたみんなもそれに賛成した。「明美ならしっかり引っ張っていってくれるよね。」「明美さんなら間違いないです。」などと口々に同級生や後輩たちに言われて少しくすぐったい気持ちになりながら、私は来年の演劇部の部長になることが決まった。

 もちろん、正式にはまだ部長ではない。さおさんが卒業するまではこの部活の部長はさおさんであり続ける。しかし、全国大会にはさおさんがいないことも事実であり、早めに世代交代を行うことで、3年生のいない状態での銀河鉄道の夜を作り上げる準備をしようという、そのために次期部長を指名しておこう、という3年生なりのやさしさだった。

 いざ次期部長に指名されてみると、いかにさおさんが背負っていたものが大きかったのか、その重さが肩に食い込むようにのしかかった。新入生歓迎会のこと、来年の演劇部の体制作り、そして、新しい体制での全国大会、銀河鉄道の夜の方向性などを考えると、春休みはいつになく忙しくなりそうな気配がしていた。

 進路の決まった卒業生のほとんどは学校に顔を出さなくなっていたが、劇部の先輩たちだけは部活に顔を出し続けてくれていた。がる先輩は地元の看護学校に進学が決まってバイトに明け暮れる日々。ユッコ先輩と中西先輩は示し合わせたように同じ大学の演劇学科に進学が、そして、さおさんは悩んだ末に教育学部に進学して先生を目指すことがそれぞれ決まっていた。

 3年生は卒業式を明日に控えているというのに、今日も全員がそろっていて、劇部の風景はほとんど色を変えていなかった。最後の最後まで、私たちの新しい銀河鉄道の夜を磨き上げようとしてくれていた。

「明美ちゃん、ちょっといいかな?」

 稽古の休憩中に間借りしていた教室でみんなでなんてことない世間話をしていた矢先に、急にさおさんに美術室に呼び出された。

* * *

「ごめんね、明美ちゃん、急に呼び出したりして。」

「いえ、全然。…あ、さおさん。ご卒業おめでとうございます。」

「うん、ありがと。あ、早速でごめん。あのさ。これなんだけど。」

 さおさんはすっと一冊のノートを差し出した。さおさんがいつも持ち歩いていた見覚えのあるノートだ。お風呂にでも落としてしまったのか、水にぬれてしわしわになっているからすぐにわかった。

「え?これって、さおさんの演出ノート……。」

「あげる。明美ちゃんに使ってほしいから。」

「え?」

「もうさ、私が持っていても仕方がないし、次期部長の明美ちゃんが持ってた方がいいと思って。」

 私は一瞬言葉を失いかけた。さおさんにとっては劇部でのすべてが詰まっているはずの大切なノート。練習の時はもちろん、廊下でも胸に抱えて大事そうにしていた、きっと誰にも渡したくない、一生の宝物になるはずの演出ノート。それをさおさんが私に差し出してきたから。

「え、でも、これって?」

「私の演出ノート。……あ、そうじゃないよ?ノートの中身のとおり演出してほしいとか、そういうことじゃないの。思った通りの解釈で演出していいの。ただ、次期部長、ううん、明美ちゃんには知っておいてもらおうかなって思って。」

「私に……?」

「そう、銀河鉄道の夜を私がどう読んで、どう解釈したのか、それだけじゃなく、劇部のみんなが何を思って、何に悩んでいたかとか、すごく細かーいことも全部メモしてきたの。もしかしたら何かに生かせるんじゃないかなって。」

 聞けば聞くほど、私が預かってしまってはいけないとしか思えなくなった。私はもう一度聞き返した。

「そんな大事なものを、私が持っていていいんですか?私なんかが……。」

「ううん。むしろ、明美ちゃんだからかな?次の部長が明美ちゃんでなかったら、渡してたかわからないな。だって、なんていうの?私の頭の中をのぞかれちゃうわけでしょ?ふふっ。恥ずかしいよね。なに考えてたか見られちゃうなんて。」

「そんな……。」

 確かにさおさんの台本はすごかった。一人で書き上げたというが、私が同じような立場でこのように台本を書けるのかと聞かれれば、まったく自信がない。それゆえ、どんな頭の中身なんだろう、覗いてみたい、と思ったことも数知れない。だけど、いざそれができるとなって、本当に私がそれを見てしまっていいのか、それを考えると言葉がなかった。

「明美ちゃん、いつだか、私のことを好きだって言ってくれたでしょ?まあ、ほら、女の子にそんなことハッキリ言われたの初めてだから、びっくりしてちょっと戸惑いもしたけれど、でも、先輩として私を慕ってくれてるのはうれしかったの。私、杉田先輩にちょっとあこがれてて、杉田先輩の背中を追いかけて頑張ってきたしね。」

 杉田先輩のことをいつも追いかけていたさおさんのことも私は知っている。わたしがさおさんにあこがれたように、さおさんもまた杉田先輩のことを好きだったことは誰から見ても明らかだったし、杉田先輩もそれに応えるようにさおさんを大切にしていた。

「知ってます。」

「明美ちゃんならわかってくれると思うけど、……先輩としてね!」

   最後を強調しながら少しおどけてさおさんは言った。

「で、私が演出をやることになって、すごく悩んだ。あんなふうに私についてきてくれる人なんているのかな、私をあんなふうに慕ってくれる後輩なんて現れるのかな?って。でも、みんなついてきてくれた。私を強烈に慕ってくれる後輩もいた。まあ、強烈すぎって話もあるけど。ふふ。でも、それってすごく幸せだなって。」

「……さおさんだったから、私たち、ここまで来られたんですよ。」

「ありがとう。実はね、ちゃんと言ったことなかったかもしれないけれどね、そうやって明美ちゃんが私に言ってくれるのがいつも励みになってたの。で、そんな明美ちゃんが来年からは部長になるから、明美ちゃんと舞台をまた作りたい。明美ちゃんの思う銀河鉄道の行く末を一緒に見てみたい。……なのに、私はこの演劇部から去らなきゃいけない。卒業しなきゃいけない。前に明美ちゃん言ってたあの言葉通り。ほんと、部活って、残酷よね。」

「ですね。」

「だから、いつも私を信じてついてきてくれた明美ちゃんに、どうやったら恩返しができるかな?って。どうやったら明美ちゃんのそばにいてあげられるかなって考えたの。」

「え?……それが、この……。」

「ね。こんなノート一冊で恩返しなんて笑っちゃうよね?ごめんね。こんなことしかしてあげられない。」

「違うんです。そうじゃない。私なんかがこれを持ってていいんですか?本当に?」

「持っててほしいの。ごめんなさい。私が作った台本なのに。私は明美ちゃんが来年戦う場所にはいられないの。全部明美ちゃんたちに放り投げて卒業していかなきゃいけないの。……だから、せめてこのノートを。ううん、私の分身を、全国に連れて行ってください。あなたの率いる富士ケ丘高等学校演劇部を、近くで見守らせてください。」

 さおさんが丁寧に私に向ってお辞儀をした瞬間、私の感情を抑えていた何かがぱんっという音とともにはじけ飛び、堰を切ったかのように涙があふれ出した。

「こちらこそ、お願いします。」

「……ありがとう。明美ちゃんなら大丈夫って信じてる。明美ちゃんは、たぶん、誰よりも私のことを見てくれてたと思うから。」

「ユッコ先輩には負けますよ!」

 涙をぬぐいながらさおさんの言葉に精一杯の笑顔で返そうとしたけど、肝心の笑い方を思い出せず、私は泣き顔のまま、つたない冗談で返すだけだった。

 ふと温かい手が私の頭を包みこみ、私は気づくとさおさんの胸の中に納まっていた。その温かさに思わず私は、言うはずじゃなかった、言うべきじゃなかったはずの本音を漏らしてしまった。

「ごめんなさい、正直、すごく、すごく不安なんです。さおさんのあとが私でいいのか。全国大会に行くのが私の時でいいのか。全国大会で全部台無しにしちゃったら、3年生のみなさんになんて謝ればいいのか、そんなことばっかり考えちゃうんです。」

「そっかー。そうよね。でもね、大丈夫。明美ちゃんなら大丈夫。みんなそう言ってくれたよ。それに、3年はね、みんな、後輩のみんなが楽しくお芝居できればそれでいいよね、って。がるるも、中西さんも、ユッコも。そう言ってるから大丈夫。」

 さおさんは私をあやすように背中を軽くたたきながら、やさしく耳元でそう告げてくれた。

「でも……。」

 かろうじて発した言葉が声になっていたかどうかは、自分でも自信はなかった。そんなただただ泣きじゃくっていただけの私をさおさんはさらに温かく包んでくれた。

「わかるよ。部長のプレッシャー。みんなには言ってなかったけど、ほんと大変だったしつらかったよ。吉岡先生来なくなったときはどうしようかと思ったしね。そのせいで、明美ちゃんにもつらい思いをさせたとき、あったよね。でもね、きっと明美ちゃんもつらいと思うこと、やめたいって思うこと、何度も襲ってくると思うの。そのたびに、自分には味方なんていないんじゃないか、すごく孤独な存在なんじゃないかなって、思ってしまうの。……でもね、そこにいるのは、1人じゃない。」

 さおさんは私が胸に抱えていたノートをつんつん、とつついて言った。

「そこにいるのは、2人だよ。私がいるよ。」

「さおさん……。」

「私も連れてってね、全国に。」

「はい。」

 精一杯の笑顔で私はさおさんと約束を交わした。美術室の窓から不意に強い風が吹いた。やさしい香りのする少し暖かな風が2人を包み込んでいた。

* * *

 卒業式が終わり、お世話になった3年生がとうとう巣立っていく時を迎えた。私たちは、お礼を込めて、最後にたった4人の大切なお客さんのために、お芝居を上演することにした。一番大切なお客さんの前で1・2年生だけで上演する初めての舞台だ。

 1年生に案内され入ってきた3年生は客席の椅子に座って記念に贈られた花束を胸に抱えて、目の前に用意されたいつもの配置の舞台に少し驚きながらも、笑顔で互いに顔を見合わせながら何か談笑していた。そんな中、生徒役のみんなが舞台に現れ、そして、定位置に着いた。

 がる先輩、中西先輩、ユッコ先輩、そしてさおさん、見ていてくださいね、私たちの「銀河鉄道の夜」を。

 いつもの私のセリフで幕は上がった。

 

「さて、では。」